2009年08月31日

夏の終わりに

雰囲気だけ書き倒し小話。




「夏が終わるな」
 夕暮れ時の執務室に、ロイの声音が妙に透き通るように響いた。
 暇つぶし用にと貸し与えられた文献から顔を上げ、エドワードは瞬きをする。
「……そっか、8月も今日で終わりか」
 年中旅をしていると日付の感覚が鈍るが、暦の上ではもう秋だ。日中こそまだ暑いが、朝夕は随分と涼しくなり、新しい季節の訪れを感じる。
 あれほど騒がしかった蝉の声も、今は昼間にしか聞こえなくなり、代わりに涼やかな虫の音が夕刻になると響いてくるようになった。
「今年の夏も仕事仕事で過ごしてしまった事を思うと、何だか虚しくなるな」
 サインを終えたペンを放り出し、ロイは溜め息混じりにそう呟く。
「軍人にも夏休みってあるのか?」
 ほら、というように差し出されたサイン済みの許可証を受け取りながら、エドワードは尋ねる。
 エドワードにも、リゼンブールで小学校に通っていた頃は夏休みを過ごした思い出がある。
 朝から晩までアルフォンスやウィンリィと野山を駆け回った時代は、それ程の年月を経ていない筈なのに、もうどこか遠い。
「夏期休暇は都市伝説だ、と軍部では専らの噂だな。事件が起これば休暇どころではない」
「ふーん……」
 まあそうだろうな、とエドワードは頷く。そもそも、この男が休暇を取って過ごしている所など想像がつかない。勿論休みぐらいはあるのだろうが、いつでも軍服を着て軍部にいるような気がする。実際、エドワードが軍部に来て

、ロイが出勤していなかった事など、ただの一度も無かった。
「でも、大佐が夏休みとかって、想像がつかないよな」
「……どういう意味だ」
「じゃあ、夏休み貰ったら何するんだよ? 掃除と洗濯?」
「馬鹿にするな。私だって休暇ともなれば、どこか高原の避暑地にでもバカンスに行くさ。別荘でも借りて、釣りをしたり、読書をしたり」
「―…一人で?」
 何故か、問い返すまでに不自然な間が空いてしまった事に、エドワードは内心で首を傾げる。
 ことり、と胸の奥で、何かが動いたような気がした。
「野暮だな君は。そんなの恋人と一緒に過ごすに決まっているだろう」
「……ふーん」
 その答えに、また喉の奥で何かが詰まるような気がした。
 言われてみれば当然だ。この男が女性にもてるのは知っているし、エドワードの知らないところで恋人の一人や二人、居てもおかしくはない。
「そうだ。折角だから君に付き合って貰おう」
「は?」
「去り行く夏を惜しんで。それぐらい楽しんでもバチは当たらない筈だ。幸い、仕事も終わった事だし」
 ロイは楽しげに言いながら、机の一番大きな引き出しを漁る。
「……湖で釣りでもすんのか?」
 夏季休暇という話の脈絡からそう問いかけると、ロイは楽しそうにまた笑った。
「今からでも休みが取れて、君が承知してくれるのなら、それも良いんだが。……ああ、あったあった」
 ロイが雑多なものの中から取り出したそれは、雑貨屋のロゴが入った紙袋だった。
「花火をしよう」
 有無を言わせない口調で、ロイはエドワードに楽しげに告げた。




「錬金術使うかと思った」
 発火布の手袋は持ち歩いている筈なのだが、ロイはマッチを使って蝋燭に火をつけ、それを火種とする。
 それが普通のやり方なのだろうが、発火布を使う姿ばかりを見ているので、わざわざマッチを使うのは何となく不思議な気がする。
「錬金術ばかりでは情緒に欠けるだろう」
 そんな風に言って、ロイは線香花火に火を点ける。控えめな焔が闇夜を照らし、辺りをほんの僅かだけ明るくする。
 空を仰げば、まだ昼間の光を少し残した空の蒼が透き通っている。そこに薄くたなびく雲は、もう秋の形をしていた。
 花火と言えば、完全に日が落ちてからするものだとばかり思っていたが、夕暮れと夜の境目のようなこんな時刻にするのも悪くはない。
 ロイに手招かれて、エドワードは素直に傍らにしゃがみこんだ。
「君もやるといい」
 手渡された線香花火は、紙縒を合わせただけの頼りない風情だったが、火を点ければまるで小さな太陽のような焔の球が震え、華やかな火花を散らした。
 しかしエドワードのそれはあっという間に地面に落ち、小さな太陽は消えてなくなる。
「下手だな。君は」
 そう言って笑うロイの花火は、エドワードよりも先に火を点けたのに、まだ鮮やかな火花を散らしている。
「うるさい。こういうチマチマしたの向いてねえんだよ。もっと派手なの無いのかよ。打ち上げ花火とか」
「生憎と貰いものでね。仮にあったとしても司令部の敷地内じゃ出来ないな」
 口を尖らせながらも二本目に火を点けるエドワードに、ロイは笑って言い添えた。
「コツがあるんだよ。気持ちを集中させて、手を動かさないように。大事なのは根気だ。……ほら」
 不意にロイに手を掴まれ、エドワードは思わずびくりと体を揺らす。
「教えてあげようとしたのに。下手くそだな君は」
「大佐が邪魔するからだろ! ……ったく」
 ぶつぶつ文句を言いながら、エドワードは三本目に火をつける。その手が微かに震えている事に、ロイは気付いてしまうだろうか。
 ロイに触れられた場所が熱い。心臓の鼓動は跳ね上がり、この場から今すぐ逃げ出したいほど落ち着かない。
 適当な口実でもつけて帰ってしまえばいいのに、何故かそれも出来なかった。
「こういうのは、恋愛に通ずると言うね」
「は?」
 また話題が妙な方向に飛んだ事に、エドワードは怪訝そうな声を上げる。
「必要なのは根気だ。辛抱強く、機を熟するのを待つ。そんな忍耐こそが、成就への近道だと自分に言い聞かせる」
「……それ、大佐の体験談?」
 何故か、それを聞きたくない、と思った。
 じくりと胸の奥が痛み、それを誤魔化すようにロイから目を逸らして、花火に視線を落とす。三本目は順調で、今のところ落ちる気配は無い。
「今度は好調じゃないか。その調子だ」
「……ん」
 エドワードの手元で小さな太陽が弾ける。少しずつ形を変えながら、それはやがて光を失った。
 最後まで落とさずにいられたのは嬉しかったが、燃え尽きた花火が寂しくて、エドワードはそれを目の高さまで上げて見つめる。
「―…体験談か、と言ったな」
「あ……うん」
 それが先程の問いに対するものだと気付くより先に、新しい花火が差し出された。
 促されるままに火をつけると、それは再び小さな太陽のように火花を散らし始める。
「体験談と言えば体験談だが、成功とは言い難いかな。……意外と堪え性が無くてね。もう少し待てるつもりだったんだが、もう告白してしまおうかと思って」
「……へえ」
 どう答えていいのか分からず、エドワードは曖昧な返事を返す。
 好きな相手がいるのなら、さっさと告白でもなんでもしてしまえばいい。この男なら、特定の相手がいない限り、まず断る女性は居ないだろう。
 こんなところでエドワードと一緒に花火をするぐらいなら、その相手をデートにでも誘えばいいのに。
「鋼の」
 静かに呼び掛けられて、思わずびくりと震える。その拍子に、手元の花火から焔の球が地面に落ちてしまう。
 あんたが邪魔をするからだ、と言えればいいのに、声は出ない。不自然な沈黙に狼狽えてしまいそうになった瞬間、ロイの声が静かに響いた。
「――…君が好きだ」
 まるで囁きのような微かな言葉に、エドワードは思わず目を瞠る。
 しかし、穏やかな微笑を湛えたロイの瞳は真剣で、それが冗談でも悪ふざけでもない事をエドワードは唐突に悟る。
 何か答えなければ、と思えば思うほど、言葉は出てこない。それでもようやく、エドワードは自分が答えるべき答えを見つけ出す。
「……ごめん」
 ただ一言、それだけを応えたエドワードに、ロイは苦笑する。
「いいよ。……私が君に、そう言いたかっただけなんだ」
 諦めとも笑みともつかぬ表情を浮かべるロイに、エドワードは慌てて言葉を付け足す。
「だ、だって無理だろ? オレも大佐もやる事あるし、そんなにしょっちゅう会えるわけでもないし、」
 そうだ。自分にもロイにも果たさなければならない事がある。本当なら、こんな風に呑気に花火なんかしていていい筈が無いのに。
「す、好き、とか、つ、付き合うとかそういうの……って、てめえ何笑ってんだ!」
 必死の思いでフォローしようとしていたのにも関わらず、何故か肩を震わせて笑い始めていたロイを、エドワードは思わず真っ赤になって怒鳴りつける。
「い、いや済まない。嬉しくて」
「何がだよ?!」
「君が謝る理由が、私の事が好きじゃないからとか、男同士だからとか、年が離れてるからだとか、そんな理由じゃない事が、だよ」
 ロイはそう言って、エドワードに視線を向ける。
 そこには、隠しきれない甘さが滲んでいた。
「その言い方だと、君たちも私も目的を果たした暁には、恋人になってくれるようにしか思えないよ?」
「………!」
 ロイの指摘に、エドワードは今度は耳まで真っ赤になって絶句する。
 その様子に、ロイは幸せそうに微笑んだ。
「鋼の。……私は待っていてもいいのかな」
「……知らねえ」
 拗ねているようにしか聞こえない声音に、ロイはまた笑って、新しい花火に火を点ける。
「夏期休暇に、君と一緒に湖畔の別荘に行きたいな。来年か、再来年の夏に」
「………花火」
「え?」
「花火、用意してくれるなら。……待たせてやっても、いい」
 遠まわしにも程がある言葉に、それでもロイは嬉しそうに笑った。
「言っとくけど、線香花火だけじゃダメだからな?! 打ち上げ花火とか、ロケット花火とか!」
「了解した。……じゃあ、指きりしよう」
 まるで子供のように無邪気に笑いながら小指を差し出されて、エドワードは渋々と言った様子でそれに自分の指を絡める。
 その指先は少し冷たくて、ひどく心地良かった。





ギリギリ8/31に間に合いました(笑)
posted by 観済寺凪之介 at 23:44| 小話