2011年02月06日

バレンタイン×3

バレンタインネタな小話です。
続きからどうぞ。






 二月十四日、聖バレンタイン・デイ。聖バレンティヌスだとかいう名前の聖人の命日にかこつけて世の中に菓子屋の陰謀が蔓延ろうが、にわか仕立ての恋人達が浮かれて街を歩こうが、軍部にはそんなイベントは無縁である。
 無論、建前上は、という事なので、それなりにこっそりと楽しんでいる者もいるらしい。軍部と言えど、職場内での恋愛や結婚などもあるのだ。
 しかし仮にも司令官という立場上、ロイは率先して規範を示さねばならない。その為、世間がいかに盛り上がろうと、通常業務をこなす事となる。
 ――…建前上は。


 ロイが自分の執務室で真面目に書類仕事をこなしていると、珍しく、やや控え目なノックの音が響いた。
 この時間帯は元々人払いをしてある。そこにあえて訪問してくる相手など一人しかいない。ロイは小さく笑って、いつになく柔らかな声音で応じた。
「どうぞ」
 そう告げると、すぐに馴染みの金色の子供が、ひょこりと金色の尻尾を揺らしながら入ってきた。そして人目を避けるようにきょろきょろと廊下を見回し、慌てたように扉を閉ざす。
 そしておもむろにロイの方をくるりと振り返り、持っていた紙袋を軽く掲げてロイに示す。
「買ってきたぜ、チョコレート」
 その一言にロイはまた笑って、手にしていた万年筆のキャップを丁寧に締めて、机の上に置いた。
 エドワードを待っている間、仕事は随分と進んだ。そもそも、この日の為にかなり前倒しで進めていたのだから、今日は随分と余裕がある。いつもは厳しい副官も、急なテロ事件でも起こらない限り執務室には来ないだろう。
「ありがとう。では、早速頂こうか」
 そう言って促すと、エドワードは執務室の片隅にある来客用のソファに腰を下ろす。手にした紙袋は随分と色々な種類があるようだ。
 この季節、普段チョコレートをメインにしていないような菓子店でも、チョコレート菓子を多く出している。きっとあちこち廻ってきてくれたのだろうと思うと、ロイはますます嬉しくなった。
 先程、ロイが自分で丁寧に淹れた珈琲は、保温ポットの中でまだ飲み頃の筈だ。エドワードと自分の分、マグカップを二つ用意して注ぎ分けると、かぐわしい芳香が辺りに漂う。
「いい匂いだな」
 嬉しそうにそんな事をエドワードが言うのが嬉しくて、ロイの気分はますます上昇する。
「今年は、何を買ってきてくれたのかな?」
 そう言いながらコーヒーをテーブルに置き、エドワードの隣に腰を下ろす。近くに座っても文句が出ない辺り、エドワードの機嫌も良いらしい。
「えっと、まずはこれ。えーと、これがトリュフ・シャンパーニュ、テ・フォンダン、パベ・ドゥ・トゥール・レ……」
 どうやら、店員に細かく説明を聞いてきてくれたらしい。エドワードがその素晴らしい記憶力を遺憾なく発揮し、名前と、その概要について簡単に解説してくれる。
 その細工はどれも繊細で美しく、まるで宝石のようにすら見える。ロイは甘いもの全般が好きだが、菓子類、チョコレートは特に好きだ。見た目も味のうち、という言葉をこれほどまでに体現しているものは無いだろう。
「ミルクチョコレートの中にシャンパンで香りづけしたガナッシュで、表面にまぶしてあるのはシュガーパウダー。こっちは、ダークチョコレートの中にアールグレイティーで香り付けしたビターガナッシュが入ってんだって。で、こっちは――…」
 テンポよく流れるエドワードの声音は耳に心地良く、ついつい聞き惚れてしまう。食べ物についてのこういう長い口上を面倒くさがりそうなのに、この季節、この日だけはエドワードは律儀に解説してくれるのだ。
 こんな風にエドワードがロイにチョコレートを買ってきてくれるようになって、早いもので、もう三年目になる。
 一通りの解説を済ませて、お互い、あれが食べたいのこれは譲るだのという話をしながらチョコレートを分けあい、珈琲を片手に、しばし穏やかな時間が流れる。
「でもさ、あんたも毎年よくやるよな。何万センズも出して、高いチョコレート買ってさ。預かった金、本当に全部使っちまったからな?」
「元々そのつもりだったんだから、それは構わないよ。でも、値段は確かに高めだが、その価値に見合うだけの味だろう?」
「ん、まあ……そうかもな」
 牛乳が苦手な癖に、ミルクチョコレートは好きならしいエドワードが、幸せそうにアールグレイ風味のチョコレートを頬張っている。
 その表情に、ロイはこっそりと満足感を覚える。今年もまた、無事にこの日を迎える事が出来たのだ。
 バレンタイン・デイにエドワードがこうしてチョコレートを買ってくるのは、初めての事ではない。エドワードが十三歳の時からだから、もう三回目。エドワードも、もう十五歳だ。
「でもさ、別にこんな風に、こそこそしなくてもいいんじゃねえの? あんたが甘党だからって、別に誰にも迷惑かけてないんだしさ」
「そうは言うが、なかなか言いにくいものだよ。いい歳をした男が、甘党だというのはね」
 しれっと建前を述べて、ロイは薄いプレート状のチョコレートを口に運ぶ。プラリネやベリーソースなどが入っているのも好きだが、こういうシンプルなものが一番好きだ。
「そうでもないんじゃねえの? あんた、いかにも甘いの好きそうな顔してるし」
 笑いながらそんな事を言われて、ロイはいかにも不本意だという表情を作ってみせる。
「いかにも……って、どんな顔だね」
「えー? こんな顔?」
 不意に、エドワードの手が伸びてきて、ロイの頬に触れる。
 機械鎧の方ではない、生身の左手。チョコレートを食べていたせいか、手袋は外している。温もりをそのまま感じさせるその感触に、思わず鼓動が跳ね上がる。
 エドワードはスキンシップを厭うような性格ではないが、自分から積極的にしてくるような事もない。ましてやロイに自ら触れてくるなど、初めての事だった。
 思わずまじまじとエドワードを見つめ返すと、笑顔が消えて、僅かに困惑したような表情を浮かべている。
(――…なるほど)
 高価なチョコレートを前に、エドワードもそれなりにテンションが上がっていたのだろう。だから思わず、相手がロイである事を失念してこんな事をしてしまった、というところだろうか。
 ロイは笑って、お返しだとでも言うように、エドワードの頬を同じように指先でつついてみせた。
「……な、何、だよ」
「チョコレートが顔についているぞ。こんなところまで、どうやって汚したんだ?」
 わざとからかうように言うと、エドワードは途端に、むう、とむくれた。
「うるさい。……食べ終わってから、ちゃんと拭くし。みんなにバレたらまずいんだろ?」
「そうだな。ハボック辺りが分け前を寄越せと騒ぎ立てるに決まっている。軍の行動食の板チョコが至上の美味だと信じているような奴に、このチョコレートは勿体なさすぎるからな」
「……中尉とかは?」
「ん? そうだな、中尉も意外と甘いものが好きだから、喜ぶだろうな」
 たまには慰労の為に一箱くらいはプレゼントするべきかもしれないな、とロイは思う。そもそも、二人分にしては少々多いのだ。
「………ふうん」
 ロイの答えに、エドワードは何故か不意に黙りこみ、うつむいてしまう。
「鋼の?」
「―――…じゃあ、別にオレじゃなくてもいいんじゃねえの?」
「え?」
「だから、その……チョコとか、買ってくんのもさ。中尉に頼んで、中尉と一緒に食えば」
 何故か突然そんな事を言いだすエドワードに、ロイは困惑する。何故そこで、ホークアイの名前が出てくるのだろうか。
 確かに気心の知れた相手だし、また、ある意味でロイにとっての畏怖の対象でもあるが、一緒に食事やお茶を楽しむ事もある。私用の遣いを頼むのは気がひけるが、頼めば引き受けてくれるだろう。
 しかし、ロイにとって、それでは意味が無いのだ。エドワードと一緒にチョコレートを食べるバレンタイン・デイだからこそ、ロイにとって意味がある。
「……面倒になってきたか? 君に頼むのも、もう三回目だしな」
 思い当たった理由に、少し気分が重くなる。エドワードもこの日を楽しんでくれていたように見えたから、ロイも気軽に頼んでいたのだが、エドワードも多忙な身の上だ。こんなお遣いなど、もうしていられないという事なのかもしれない。
 それとも、もしかして、誰か好きな女の子でもいるのかもしれない。そしてその子からのチョコレートを貰えるかどうか、そわそわするような年頃になってきたのかもしれない。そんな事まで考えて、気分はますます落ち込んでいく。
 本当の気持ちも理由も告げる気は無いのに、ロイにエドワードを責める事など出来る筈も無い。
「別に、面倒とかじゃねえけど……」
 珍しく歯切れの悪いエドワードに、ロイは首を傾げる。こんなエドワードは珍しい。
「大佐だって、チョコなら女の人に貰った方が嬉しいだろ。中尉、美人だしさ」
「いや、確かに中尉は美人だが……」
 しかし、チョコレートを貰って嬉しいかどうか、というのとはまた別の問題だ。嬉しくないわけではないのだが、何と言うか……微妙に怖ろしい、とでも表現すればいいのだろうか。
「――…鋼の。君、何か誤解していないか? 私と中尉は、そういう関係ではないのだが」
「……だったら、今からでもそうなればいいだろ。お似合いだって、事務の女の人が言ってたし」
 そんなエドワードの言葉に、ロイはますます困惑する。微妙に逸らされたままのエドワードの視線が、まるで拗ねているように見えて、まさかそんな筈は無い、と自ら打ち消す。
「傍から見てどうであれ、それはありえない事だよ。鋼の」
 ゆっくりと説いて聞かせるように言うと、エドワードがようやく、ちらりとこちらに視線を向けてくる。それに勇気づけられるように、ロイは言葉を続けた。
「大体、もし本当にそんな関係だったのなら、彼女があんな風に私に銃口を向けてくるような事も無いと思わないか?」
 先日、仕事をさぼった事がホークアイにバレた時、絶対零度まで冷え切った本気の眼差しで銃口を向けられた事を思い出し、ロイは胃の底が冷えるような感覚に、思わず身震いする。
「確かに年齢も近いし、仕事上一緒にいる事が多いから、そういう噂が立つ事もあるが、それを聞いた中尉がどんな反応をしたと思う?」
「え……と、怒った、とか、呆れた、とか?」
「そのどちらでも無い。……鼻で笑われた」
 その時のホークアイの蔑みとも哀れみともつかぬ眼差しを思いだし、ロイは改めて気分が暗くなる。勿論、ホークアイに対して親愛の情こそあれ、恋愛感情など抱いてはいないが、そういう反応は流石に傷つくものがある。
「………えっと、」
「慰めの言葉なら無用だぞ、鋼の。……男には耐えねばならん時がある」
 わざと芝居がかった仕草でそう呟くと、エドワードはしみじみとした口調で呟いた。
「大佐も大変なんだな……」
「分かってくれるか、鋼の。……まあそんな訳だから、中尉とどうこう、というのはあり得ない。それに、そもそも私に特定の恋人はいない」
 去年も一昨年も言ったような気がする言葉を改めて告げながら、心の中だけで、好きな相手はいるが、とこっそりと呟く。
「ふうん……」
 ロイの言葉に、エドワードは曖昧に頷いてみせる。何だか嬉しそうに見えるのは、ロイの願望のなせる技か。
「――…じゃあ、仕方ねえから、来年もオレがチョコ買ってきてやるよ」
 来年も大佐に彼女とか居なかったらな、と、ぼそぼそと付け加えるエドワードに、ロイは笑って頷く。
 恋人など、出来る筈もない。望みなど全く無い片想いを、もう何年も続けているくらいなのに。
「そうだな、来年も頼むよ」
 そう言ってマグカップを軽く掲げたロイに、エドワードが意図を察して自分のマグカップを掲げる。
「聖バレンタイン・デイに」
「聖バレンティヌスに」
 口々にそう言って、乾杯、と触れ合わせたマグカップは、妙にいい音がした。



節分が済んでバレンタイン、という単語を聞いた途端に書きたくなって書いてみましたあんざいせんせい(私信)
posted by 観済寺凪之介 at 00:22| 小話