2011年02月08日

桜の花の満開の下

暦の上では春ですって事で。続きからどうぞ。







 夢を、見た。

 樹齢何百年とも言われる桜の老木。その桜は毎年春になると美しい花が一斉に咲き誇る。
 その最初の一輪が花開いたところを、一番最初に目にした者は、願いが叶うのだと言う。
 そんなおとぎ話めいた噂話を聞いたある男が、ならば自分がその最初の一人になろうと思い立った。男にはどうしても叶えたい願いがあった。努力だけではどうにもならない願い事が。
 まだ寒いうちから、男はその桜を気にするようになった。仕事の行き帰りに。そしてたまの休日の散歩の合間に。
 桜の元に何度も通ううちに、その桜が咲くのを楽しみにしている人々が案外多い事に気づき、男は焦りだした。
 自分よりも先に、この桜の最初の一輪が花開くその時を、他の誰かが見てしまうかもしれない。誰かに先を越されてしまうかもしれない。
 男は足繁く桜の元に通うようになった。時間のある時などは、何時間もただじっと天を仰いで、その桜を見上げていた。
 しかし、桜は咲かない。
 男は次第に恐怖を感じるようになった。花が開くのにそう時間はかからない。自分がそばを離れている間に、桜は咲いてしまうかもしれない。誰かがそれを見てしまうかもしれない。叶えたい願いがあるのに、叶わないかもしれない。
 ついに、男は桜の下で寝泊まりするようになった。何日も何日も、ただ桜を見上げて過ごした。
 しかし、睡眠を取らないわけにはいかない。しかし、その間に、他の誰かがそれを見てしまうかもしれない。
 男は眠らなくなった。食事をとる事もなくなった。痩せ衰え、弱った体で、それでも男は一心に桜を見つめ続けた。

 そしてある朝、通りがかった人間が、桜の下で冷たくなっている男を見つけた。
 その真上に伸びた枝には、桜の花が一輪、咲いていたという。


「――…おい、聞いてんのか。大佐」
 不機嫌そうな低い声音で問いかけられて、ロイはぱちりと瞬きをした。向かいのソファに座っているのは、馴染みの金色の子供。
「ああ、済まない。ちょっと白昼夢を見ていた」
「何だとコラ。人がわざわざ来てやってんのにいい度胸じゃねえか」
 額に青筋を浮かべて拳を鳴らすエドワードに、ロイは軽く手を振って謝罪する。
「悪かった。……正確には、ちょっと夢見が悪くてね。昨晩見た夢なんだが、夜中に目が覚めてしまったせいか、妙に鮮明に覚えていて」
 蒼い夜空に伸びる桜の枝や、頬に感じた冷たい夜風まで思い出して、ロイは何だか妙な気分になる。
(ただの夢、なのに)
 ただの夢なのに、何故かそれは妙にロイの心を捕らえて放さない。
「どんな夢?」
 興味をひかれたのか、エドワードがソファに座り直して問いかけてくる。この金色の子供がロイのこうした雑談に乗ってくれるのは珍しい事だ。
「――…ある男が、桜が咲くのを待っている。それは随分と大きな桜で、その最初の一輪が咲いたのを最初に目にした者は、願いが叶うのだそうだ」
 そう説明しながら、ロイは何だか奇妙な気分になる。単なる夢、ロイの無意識の妄想の産物なのに、何だか本当にそんな桜があるような気分になってくる。
「しかし、その男は桜の下で花が咲くのを待って待って待ち続けて――…食事も睡眠もとらないで、ついには死んでしまう」
 あの男はロイ自身だったような気もするし、ロイの視点はもっと別のところにあったような気もする。ただ、春先の妙に甘いような夜風が、今も、鼻先をくすぐるような気がしてならない。
「……ふうん」
 何度か頷いてみせながら、エドワードは、でもさ、と言葉を継いだ。
「願いがあったって言ってもさ、死んだら意味無いだろ。そいつはどんな願い事があったんだ?」
「好きな相手がいたんだ。……でも、伝える事もできないような相手で」
 思いもかけないような言葉が、するりと口から出てきて、ロイは内心で驚く。あの夢の中では、男の願いが何なのか、全く出てこなかった。しかし口に出してみると、それが一番相応しい理由のような気がする。
「男は」
 ロイの口から、また勝手に言葉が出てくる。しかしそれは半ばロイの意志でもあるような、不思議な気分だった。
「好きな相手と、思いが通じる事までは望んでいなかった。ただ、好きだと伝えたくて――…でも、そうだな。結局それは叶わなかった。死んでしまったからな」
「何で言わねえの? 好きだって言いたいなら、言えばいいだけだろ」
「道ならぬ恋だった、というのかな。思いを伝えるのも躊躇うような。お互いの立場や役割を考えれば、伝えたとしても相手を困らせるだけだった。……でも伝えたかった」
 また、流れるようにするすると答えが口から出てくる。しかし言葉を重ねれば重ねるほど、そうだったのか、と納得する。求めている答えが自分の内側から出てくるような、そんな不思議な気分だった。
 あの男は、道ならぬ恋に焦がれたあげく、死んでしまったのだ。
「……分かんねえ」
 不満そうに口を尖らせて、エドワードが言うのに、ロイは苦笑した。
「そういうものだよ、恋というものは」
 まだ年若いエドワードには分からないのだろうとそんな言葉を返したが、エドワードの言いたい事はどうやら違っていたらしい。
「そういう意味じゃねえよ。好きって言いたかっただけなんだろ? それだけなら、相手を困らせる事にはならないだろ。付き合ってくれとか、結婚してくれとか言ったら困ったかもしれないけど」
「……しかし、そんな事を言ったら、その相手と気まずくなったかもしれないし。もしかしたら……気持ち悪いと思われたりするかもしれないじゃないか」
 そう言いながら、ロイは身体の裡に冷たくて重い、鉛のようなものが沈んでいくのを感じる。そう思われたとしても、おかしくはないような感情なのだ。
 頭ではそう理解していても、もし本当にそう思われてしまったら、と考えると怖くなる。
「あるはず無い。そんな事」
 しかし、ロイのそんな言葉を、エドワードはきっぱりと否定する。
「好きで好きで、死んじゃうくらい好きだった相手なんだろ? だったら、そいつはそんな事、絶対に思ったりなんかしない」
 そう断言されて、ロイは思わずぽかんとする。
「大体、告白もしてねえんだろ? だったらひょっとして、相手もその男の事、好きかもしれねえじゃん。言ってもいないのに勝手に思いこんで勝手に死なれたら、寝覚め悪いどころの騒ぎじゃねえぞ。自己陶酔してんじゃねえっつの。迷惑だ」
 何故か、ぷりぷりと妙に怒りながらそう言われて、ロイは思わず笑い出す。
「……そうだな。確かにそうかもしれないな」
 自己陶酔、と言われれば、確かにその通りだ。失恋したとしても、人生がそこで終わるわけではないだろうに。
 妙な夢を見たせいで、その雰囲気に引きずられていたのかもしれないな、とロイは苦笑する。もし本当にそんな桜の樹があったとしても、ロイはそれに願いをかける事はないだろう。そんな事に時間をかけている暇があるのなら、努力でもしたほうがまだ建設的だ。
「じゃあ、さ」
 エドワードも笑って、ソファに深く座り直して、何故だか妙に楽しげにロイを見返す。
「とりあえず、大佐はオレに告白するといいと思うぜ。桜の下で死んだりする前に」
「………………え」
 思わず絶句するロイに、どうやら全てお見通しだったらしい金色の想い人が、妙に人の悪い笑顔でにんまりと笑ってみせた。




収納する時にタイトル変更するかもです。前にもどっかでこのタイトル使った気がするし。
posted by 観済寺凪之介 at 00:58| 小話