2013年02月15日

バレンタイン。

バレンタイン小話です。遅刻しましたorz





 聖バレンタイン・デイ。
 それは恋人達の祭典として近年根付いた習慣であり、主に女性が男性に愛の告白と共にチョコレートを贈るというものだ。士気が下がると言う理由でが婚姻が禁じられていた兵士と、その恋人の結婚式を挙げさせたという咎で処刑された、聖ヴァレンティヌスの命日なのだという。
 しかし、ロイにとっては、そんな逸話など二の次だった。
(……やはり小さすぎたか? いや、でも大きすぎてもわざとらしいだろうし……)
 目の前に置かれているのは、小振りな、しかし可愛らしい包装が施されたチョコレートの包みだった。一か月も前からロイ自身でイーストシティの菓子店を廻り、吟味した上で選び出したチョコレートである。
 中身は、個々に包装されたタブレットタイプのチョコレートである。トリュフや生チョコなどの類とは違って日持ちもするし、非常食にもなる。色気が無い事甚だしいが、賞味期限内に相手が食べ切れるかどうか、荷物にならないかどうかという事も重要な事だ。
 ロイは咳払いを一つして、周囲に誰もいない事を確認してから、何度か練習した台詞を繰り返す。
「えー、あー……最近は、友チョコというものもあるそうでね。たまにはいいかと思って用意してみた。日持ちはするから、おやつにでもしなさい」
 何度も繰り返したせいか、かなり上手く言えるようになってきたと思う。出来るだけさりげなく、わざとらしくなく。――…万が一にも、秘めた想いを気取られたりする事が無いように。
(……まさか、こんな事になるとはな……)
 渡す相手の面影を胸に描いて、ロイは苦笑する。相手が美しい女性ならいざ知らず、このチョコレートを渡そうとしている相手は、ロイよりも十四も年下の少年だった。
 名前をエドワード・エルリックと言い、ロイが後見人を務める、若いが優秀な錬金術師である。
 初めて出会った頃から、いつも心のどこかで気にかけている存在ではあったが、自分の抱くこの気持ちが、庇護欲でも親子愛でもない気持ちである事を認めるのは、流石に抵抗があった。しかし様々な葛藤の末、ようやくこの気持ちが恋愛感情だと認めるに至ったのだ。
 しかし、認めたところで、どうなるものでもない。相手は十四も年下の同性の少年であり、しかも今はある目的を果たす為に旅を続けている最中である。そんな時に、仮にも上司にあたるロイから恋愛感情を告白されたところで、負担になるだけだろう。相手に気を遣わせる事は本意ではないし、気持ちを伝える事でエドワードとの関係がぎくしゃくしてしまうのも嫌だった。
 しかし、思っていたよりも、恋心というものを黙っているのは中々つらいものがあった。ふとした拍子に気持ちが零れだしそうになるし、二人きりになる機会があれば、好きだと衝動的に言いたくなってしまう事もある。そこで考えたのが、バレンタインにかこつけてチョコレートを渡す、という行為だった。
 勿論、チョコレートを渡したからと言って、告白する気など微塵も無い。しかし、伝える事も叶わないままで消えてゆく恋心なら、一つぐらい、それらしい想い出があってもいいのではないかと思ったのだ。
 あの色恋沙汰に鈍そうな、しかし誠実なエドワードの事だから、友チョコだと言って差し出されたチョコレートを無下にしたりはしないだろう。甘いものは嫌いではない筈だから、きっと受け取って、ちゃんと食べてくれるに違いない。美味しいチョコレートには違いないのだから、出所がロイであっても、喜んでくれるかもしれない。そんな淡い期待を込めて、用意したチョコレートだった。
 バレンタイン・デイ当日に渡す事が出来なくても、その前後にエドワードが来る時があれば渡そうと思っていたのだが、珍しくエドワードが事前に東方司令部にやってくる日を予告してきて、しかもその日が二月十四日の当日だったのだから、思わず胸が躍った。
 エドワードが来た時に仕事に追われている事が無いようにしようと、前日から仕事に励んだ成果が実り、今は仕事も全部終えた状態である。エドワードの予告した時間まで、後少し。チョコレート以外にも用意した茶菓子の確認を何度もして、ロイは何度も心の中で練習した台詞を繰り返す。
 何度目かの復唱をしたところで、ノックの音が響き、思わずびくりとしてしまう。わざとらしく咳払いをして「入れ」と声をかけると、ホークアイがエドワードを連れて執務室に入ってきた。
「やあ、鋼の」
「よう、大佐」
 ソファを勧めてから、エドワードの隣に、鎧の弟がいない事に気付く。いつも司令部に来るときは大体一緒なのに、今日はどうしたのだろうか。
「アルフォンスはどうした? 一緒じゃないのか?」
「アルはリゼンブール。今日来たのはオレだけ」
「そうなのか。珍しいな」
 とは言え、アルフォンスには悪いが、エドワードと二人きりになれる時間は貴重だ。お茶を運んできたホークアイが退出してしまえば、後は二人きりだ。落ち着かない状況ではあるが、心躍る時間には違いない。
 いつもは報告書を出したらすぐに帰ってしまうエドワードだが、今日は時間があるのか、少しのんびりしているようにも見える。報告書の補足だけではなく、何気ない世間話にも応じてくれて、いつになく穏やかな時間が過ぎてゆく。二杯目のお茶を飲み干したところで、ロイはそろそろ机の引き出しの中に隠してあるチョコを差し出す頃合いだろうかと思い、そういえば、と切り出そうとしたところで動きを止めた。
 ソファに座っているエドワードの傍らには、いつも彼が持ち歩いているトランクが置かれている。しかしその上に、エドワードには似つかわしくない、小さな可愛らしい紙袋が乗っていた。
 オフホワイトの、小さな手提げの紙袋。それはロイも知っている、中央の有名菓子店のものだった。そしてこの時期は、その店は大々的にバレンタイン向けの商品を取り扱っている。
 それに気付いた瞬間、胃の底がすう、と冷えてゆくような嫌な感じを覚えた。
 エドワードが、自分からこんな店で買い物をするようには見えない。ましてや、今の時期はチョコレートを求める女性で溢れているだろう。もしエドワードが自分で買ったものだとしても、トランクに入れずに持ち運ぶのは不自然だ。
 つまり、この紙袋は、エドワードが最近入手したものなのだという事になる。それも、おそらくはここに来る直前に。
「――…鋼の、それは……」
「え、ああ……チョコレートだよ」
 事もなげに答えるエドワードの表情に、僅かに羞恥の色が浮かんだ事に、ロイは更に衝撃を受ける。
「……貰ったのか?」
「え? ああ……うん」
 歯切れ悪く応じて、エドワードは僅かに視線を逸らす。その反応に、ロイは確信する。
 これは、エドワードがどこかの誰かから贈られたチョコレートなのだ。それも、バレンタイン用のものとして。
 ロイは強張ってしまいそうになる表情を何とか動かしながら、努めて笑顔を作る。
「可愛い子か? 君も中々隅に置けないな」
「まあ……可愛いんじゃねえの」
 微妙な言い回しは、きっとエドワードなりの照れ隠しなのだろう。そう考えて、ロイはまた、胸の奥に重い澱が溜まっていくような感覚を覚える。
 エドワードにバレンタインのチョコレートを贈るのだから、きっと、エドワードと年齢の近い、可愛らしい少女に違いない。
 考えたくもない想像が、頭の中をぐるぐると廻る。年齢の割に少々小柄ではあるが、エドワードはとても魅力的な少年だ。顔立ちや才能だけではなく、どこか人を惹きつける魅力がある。ロイですら惹かれずにはいられなかったのに、同年代の少女であれば、惹かれるのは当然だろう。
 その後、エドワードとどんな話をしたのか、ロイはもうよく覚えてはいなかった。



 時間があるなら夕食に誘おうと思っていた事を切り出すのも忘れ、ロイはエドワードが帰った後も執務室の椅子にぼんやりと腰掛けていた。
(――…結局、渡し損ねたな……)
 用意してあったエドワードへのチョコレートを引き出しから取り出して、ロイは深いため息をつく。
 エドワードが他の誰かからチョコレートを貰うであろう事も、本来であれば想定に入れておくべき事だった。そんな当然の事も思い浮かばないくらいに浮かれていたのか、それとも、無意識のうちに現実から目を逸らしてしまっていたのか。
 時刻は既に夕方に近い。窓から差し込む夕焼けの橙色の光が、部屋の中を照らしている。せめて仕事でもあれば気が紛れたかもしれないが、生憎と今は何もない。無理に仕事を探しに出る気にもならなくて、ロイはぼんやりと、渡し損ねたチョコレートを眺めていた。
 もう今日は早めに帰ろうと思ったところで、机の上に置かれた電話機が鳴る。電話を取る事すら面倒に思えたが、渋々手を伸ばして受話器を上げる。
「はい、マスタング」
 名乗ると、交換手の女性が軽やかな声音で、外線からの入電である事と、先程帰っていったばかりのエドワードからの電話である事を告げる。
「……繋いでくれ」
 正直、出たくはなかったのだが、まさか出ないわけにもいかない。諦めてそう応じると、すぐに電話が繋がった。
『……あ、大佐。オレ、エドワードだけど』
「どうした?」
『あのさ、ちょっと忘れ物して。ソファの上だと思うんだけど』
「ソファの上?」
 何かあったかと、受話器を持ったままでソファの方に視線をやる。一見何も無いように見えたが、よく見ると端の方に置かれたクッションの陰から、何かが覗いている。
 少し待ちなさい、と告げ、ロイは受話器を机の上に置いてソファに向かう。そしてクッションの陰から引っ張り出した、見覚えのある紙袋に、思わず溜息をつく。
「――…あったぞ。チョコレートが」
『あ、やっぱり?』
 トランクの上に置いてあった筈なのに、どうしてわざわざクッションの陰に隠すようにして忘れていくのだろうか。ある意味で器用な忘れ物に、ロイは呆れた。
『それ、取りに行くの面倒だからさ。大佐が食っていいよ』
「は?」
 その言葉に、思わずロイの声音が低くなる。
『もう夕方だろ? 面倒だし。あんた甘いもの好きだろ。食っていいよ。有名な菓子屋のチョコレートらしいし』
 本当にそう思っているらしいエドワードの口調に、ロイは思わず怒りを覚える。
「……鋼の」
 呼びかける声に込めた怒気に気付いたのか、受話器の向こうから戸惑うような気配が伝わってくる。
『………えっと、』
「これは、君が貰ったチョコレートだろう。しかも、バレンタインの」
『まあ……そうだけど』
「誰に貰ったのか知らないが、これは君の事を思って、誰かが用意してくれたチョコレートだ。だから、きちんと君が自分で食べたまえ」
『ええと、でも、』
「来なさい。今から」
 少し強引に、今から取りに来ることを承諾させて、ロイは受話器を置いた。
 見ず知らずの相手ではあるが、折角エドワードの為に用意したのだろうチョコレートが無碍に扱われるような事になるのは、流石に気の毒だった。忘れていったとは言え、ロイに食べていいなどと言いだすという事は、それほど脈が無い相手なのかもしれない。もっとも、単に旅暮らしのエドワードにとって、恋愛と言うものに現を抜かしている暇が無いだけなのかもしれないが。
 泊まっているホテルが司令部の近くの軍のホテルだったという事で、エドワードはすぐに司令部に現れた。こんな近くなのに、取りにくるのを面倒がるとはどういう事だ、とロイはまた密かに憤る。
「――…これを持って、早く戻りなさい」
「………うん」
 差し出された紙袋を受け取って、エドワードは何故か曖昧に頷く。迷うような、少し困ったようなその表情を、ロイは不思議に思う。
「どうかしたのか?」
「うん。……あのさ、これ、荷物になるから、ここで食ってく。大佐も手伝えよ」
 そう言って、さっさとエドワードはソファに腰掛ける。ロイにしてみれば、エドワードを想う誰かが、エドワードに寄越したチョコレートの相伴にあずかるなどという事態は避けたかったが、エドワードにしては用意のいい事に、近所のコーヒーショップで買ってきたのだというテイクアウトの美味しいカフェラテまで差し出されては、無下に拒否する事も出来ない。
 諦めて、まるで宝石のような美しいチョコレートを、一つ摘まんで口に運ぶ。美味しいのだろうが、正直、味は全く分からなかった。
 その様子を何故かじっと見守っていたエドワードが、カフェラテの入った紙コップを両手で持ちながら、上目遣いで問いかけてくる。
「あのさ。……美味い?」
 何故か期待に満ちたその眼差しに、ロイは内心で首を傾げながらも応じる。
「……美味しいよ」
 味など分からなかったが、きっと美味しいチョコレートには違いない。そう答えると、エドワードは何故か照れ笑いのような表情で、嬉しそうに微笑む。
「そっか」
 何がそんなに嬉しいのかは良く分からなかったが、ロイはエドワードに勧められるまま、そのチョコレートの大半をその胃に納めた。




 再び去って行ったエドワードを執務室で見送って、ロイはぼんやりと物思いにふけっていた。甘いものばかり食べたせいか、夕飯時であるのに腹が全く減っていない。食事をするのも面倒だから丁度いいかと半ば自棄気味に考えながら、テーブルの上に広げたままのチョコレートの包装紙や箱を眺める。
 印刷されている店名は、ロイでも知っている有名店のものだ。確かヒューズの奥方であるグレイシアが好きな店だとかで、ヒューズが自宅への土産に買っていくのだと聞いた事がある。品質保持の観点から地方への発送はしていないらしく、中央のその店でしか買う事が出来ないチョコレートなのだと言っていた事を、ぼんやりと思い出した。
(………あれ?)
 そこで、ロイはふと、何かが引っかかるのを感じる。
 地方への発送はしていない、中央の菓子店のチョコレート。
 トランクに入れずに、それをわざわざ別に持っていたエドワード。

(そっか)

 チョコレートを美味しいと言った時の、あの、笑顔。
(―――…まさか)
 そこから導き出された推論に、ロイは思わず立ち上がる。
 これは、ひょっとしたら勝手な思い込みの、酷い自惚れかもしれない。しかしそう思ってしまったら、確かめずにはいられなかった。
 引き出しの中に入れっぱなしになっていたエドワードへのチョコレートを掴んで、ロイは執務室から飛び出し、エドワードの後を追いかける。
 門をくぐろうとしていたエドワードに追いついて、その腕を掴んで捕まえる。
「鋼の!」
 突然背後から腕を掴まれて、驚いたようにエドワードが振りかえる。
「……何だよ。どうしたんだよ、大佐」
「ちょっと、こっちに来てくれ」
 門の前では人目につきすぎる為、人けのない中庭の方に、手を引っ張ってエドワードを連れていく。驚いているせいなのか、エドワードは抵抗もせずに大人しくついてきた。
 誰もいない事を確認してから、ロイは持っていたチョコレートの包みをエドワードに差し出した。
「君に、これを」
「え………」
 戸惑いと、少しの不安に、エドワードの瞳が揺れるのが分かる。
「チョコレートだ。これを、君に」
 そう付け足すと、エドワードの困惑の色が深くなる。
「え、チョコ? 何で……オレに?」
 戸惑うのは無理もない。しかしその困惑は、別の色合いを帯びているようにしか思えなかった。
「バレンタインには、好きな相手にチョコレートを贈るものだろう?」
 その言葉に、エドワードの頬が赤く染まる。その反応に、ロイの期待が確信に変わる。
「受け取ってくれないか。……これでも、一所懸命選んだんだ」
「わ、渡す相手が、オレでいいのかよ」
「君が、いいんだ」
 鋼の、と促すと、恐る恐るといったように手が差し出される。僅かに震える指先が愛おしくて、堪らなくなる。
「その、あ……ありがと」
「うん。……日持ちのするものを選んだから、旅先でゆっくり食べて貰えると嬉しい」
「ん……あ、あのさ、オレも、ホントは、さっきのチョコ……その、」
 えっと、や、あの、という意味を成さない言葉で繋ぎながらも、どうしても言葉の続きが出て来ないらしいエドワードに、ロイは柔らかに微笑む。
「――…ゆっくりでいいよ」
「う、ん……あの、さっきの、貰ったとかじゃなくて、ホントは……」
 自分で買った、と小さな声で、ようやくエドワードが呟く。肝心な言葉はまだ聞けていないが、それだけ聞ければ今は充分だった。
「良ければ、これから食事に行かないか。……君に話したい事が、沢山あるんだ」
 出来るだけゆっくりと、柔らかく、ロイは囁く。
 何もかも、一度じゃなくていい。お互いの気持ちが向き合っている事が分かれば、今はそれでいい。時間をかけて、ゆっくりと伝え合っていければ、それでいい。
 ロイの言葉に、エドワードは少し迷うようにしてから、しかし、しっかりと頷いた。
「――…オレも、大佐に話したい事、たくさんある」
「………うん。聞かせてくれ」
 そう言ってロイが差し出した手を、エドワードがそっと握りこむ。柔らかく絡む小さな温もりから、じんわりと、幸せがしみ込んでくるような気がした。



安定の乙女大佐です。
posted by 観済寺凪之介 at 00:19| 小話