2013年10月28日

箱の中身を知らない

箱の中身を知らない(ロイエド・小話)


 私は、その箱の中身を知らない。

「それ、預かっといて」

 そんな風に言って、彼は姿を消した。
 何の痕跡も、何の言葉も残さずに。ただ一つ、掌に乗る程度の小さな箱を私の元に預けて。

 彼は、この世界から姿を消した。




「……と、いう夢を見たんだ」
 そう言って説明を終えると、琥珀色の瞳が剣呑な色を帯びる。
 こう表現するのは不謹慎かもしれないが、私は彼の瞳がこんな風に熱を湛える瞬間が好きだ。
 野性味を感じる、とでも表現すればいいだろうか。感情を露わにした彼の瞳の色は、見ていてぞくぞくするような、不思議な歓喜を覚える。もしかしたら、初めて出会った時の、彼の焔の点いた瞳を思い出すからかもしれない。
「――…夢かよ……」
「夢だとも」
 開き直ってそう言い放つと、返事の代わりに呆れたような溜息が返る。
「もういい。……大事な話だー、とか言うから、真剣に聞いてやったオレが馬鹿だった」
「そうは言うがな、鋼の。とてもリアルな夢だったんだ。起きてからも暫くの間は、今のが夢だとは分からない程に」

 夢だったのだと気付いた時には、心の底から安堵した。手のひらに滲んだ冷たい汗を、シーツで擦って拭い、今のは夢だと、繰り返し自分に言い聞かせた。
 彼を失う事は、夢の中ですら、私にとっての恐怖だった。

「………まあ、夢でもさ。怖いとか思うのは、分からないでもないけど」
 何故か少し気まずそうな顔をして、琥珀色の瞳が僅かに逸らされる。
 その表情に、まだ子供の彼に気遣わせてしまう程に自分が情けない表情をしていたのだと、ようやく気付いた。
「――…済まなかったな。つまらない話をして」
「や、別に……」
「君に話して、笑い飛ばすか、怒るかして欲しかったんだ。……ただの夢だと、実感出来るように」
 一回り以上年下の彼に気を遣わせるのは本意ではない筈なのに、そんな言葉が止まらない。
 今なら、甘えても良いのだと、言外に言われているような気がして。
 ややあって、ぽつりと彼が応えてくれた。
「………夢だよ。ただの。大体、オレがアルを置いて居なくなる訳がないだろ」
「うん。……そうだな」
 彼の弟の名を出されて、私は頷いてみせる。そうだ。彼が、自分の弟を置いて、居なくなったりするわけがない。
 夢だと分かった後も、どこかに残っていた不安が、ようやく消えて無くなるのが分かる。彼は、そんな事をするような人間ではない。――…決して。
「……納得するの、そこかよ」
「え?」
「………何でもない」
 何でもなくは無いだろう、と思ったが、少し拗ねて不貞腐れたような年相応の表情が愛らしくて、思わず口元が緩む。こういう彼の表情も、私は好きだ。
「――…で、その箱の中には何が入ってたんだ?」
「え?」
「夢の中で、オレが大佐に預けたっていう箱だよ。何か入ってたんだろ?」
 夢の中、という部分を強調した口調で彼にそう問いかけられて、私は夢の中の光景を胸の裡で繰り返す。
 そこには、もう漠然とした不安や、痛みは無かった。
「……何だったんだろうな?」
「はあ?」
「いや、夢の中では箱は開けなかったし……夢の中の君も、中身が何かは言わなかったからな」
「何だよ、それ。辻褄が合わねえだろ」
「……夢だからなあ」
 夢の中での出来事をそんな風に理路整然と責められるとは思わなくて、私は思わず口ごもる。
「じゃあ、大佐は何だったと思う? 箱の中身」
「ええ?」
「オレは、そうだな――…やっぱり銀時計なんじゃねえの? 軍部絡みだし」
 答えの無い夢の中の出来事に対してそんな風に言われても、答えに困ってしまう。
 しかし「何だったと思う?」というのは、つまり「私がどう思っているか」という事であって、正解を尋ねられている訳では無いだろうと思い直す。
 夢の中で見た、掌に乗る程度の小さな箱。彼と私の繋がりを考えれば、国家錬金術師の証である銀時計が入っているというのは、いかにもありそうな話だ。
 しかし、私の感じた答えは、そうでなかった。
「――…空っぽ、かな」
「は?」
「いや、だから、箱の中身。空っぽなような気がして」
「空の箱を、オレが大佐に預けるのか? 変だろそれ。何の意味があるんだよ」
 嫌がらせか、と目の前の子どもが眉をしかめる。大人びているような、子供っぽいような。恐らくはその過渡期にあるのだろう、その表情が好きだと思う。
「そうだな、意味というか――…君は私に、何も残さないだろうと、そう思うからかな」
 ぽつり、と零した言葉に、一瞬、彼は何とも言えないような表情をする。
 しまった、と思うより先に、彼が顔をしかめる。それは怒りというよりも、むしろ拗ねたような色合いが強くて、その事にまた、私は戸惑う。
「……今日の夕飯、大佐のおごりな」
「え?」
 いつもつれなくて、お茶に誘っても食事に誘っても断られるというのに、今日はどういう風の吹き回しなのだろうか。
 今日もこれから食事に誘えないだろうかと思っていたので、驚きはしたが、彼のその言葉は嬉しかった。
「それは……勿論、喜んで」
 ああ、いけない。顔が勝手に緩む。まさか、彼から食事に誘ってくれるとは思わなかった。
「――…慰謝料だからな」
「慰謝料?」
「大佐がオレに失礼な事を言うから、オレは傷ついた。……だから、慰謝料」
 拗ねたような口調で、彼が続ける。
「……あんたに何も言わないで居なくなる程、オレは薄情じゃねえぞばーか」
 そう言って、彼の分厚いブーツの爪先が、向かい合って座る私の膝に、そっと触れる。
 力を込めて蹴る事も出来た筈なのに、まるでじゃれあうような接触に戸惑いながらも、何度か心の中で彼の言葉を反芻して、ようやくその意味に気付く。
「―――…うん、そうだな」
「そうだよ。分かったか」
 そういう彼の頬は僅かに赤くて、らしくもない事を言って照れているのだと分かる。
 もしここで、彼を抱きしめたら蹴られるぐらいじゃ済まないだろうな、と思いながらも。
 私はゆっくりと、彼に向かって、手を伸ばした。



 まだ出来てないロイエド。
 しかし私の書く大佐は乙女回路標準装備すぎる…。
posted by 観済寺凪之介 at 20:28| 小話